高藤山城址と古蹟の碑 【一宮町指定史跡】
高藤山城址と古蹟の碑(たかとうざんじょうしとこせきのひ)
昭和53年3月21日指定
一宮町一宮
高藤山城址
古蹟の碑
高藤城は標高約80mのけわしい崖など、自然の地形を生かして作られた山城で、別名柳沢城ともよばれていました。
城跡の周辺には今でも、籏立、御箭谷、番細工、鐙ケ谷など城に関係する地名が残っています。
また鎌倉時代の武将、平広常の住んだ城とも伝えられ、江戸時代の終り頃、文久2(1862)年に一宮藩主・加納久徴が広常の功績をたたえて石碑を作り、古蹟の碑とよばれています。